「真理を明らかに」使徒15:1-21

「神は、私たちに与えられたと同じように、異邦人にも聖霊を与え、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」(使徒15:8,9)

○エルサレム会議で問題とされているのは、何が真理かということです。それは、教会のかしらであるイエス様の御心を聞くためであり、神である主の真理が生きることです。問題は必ず起こりますが、その問題にどのように対処してくかが大切なのです。それが私たちの信仰の課題です。みことばの権威とご聖霊の力があるところに、正しい会議が行われ、主の真理のみが明らかにされることを求める時、すべての論争が終わるのです(マタイ18:19,20)。それは、一人ひとりが主の御声に聞いていくことで、主の真理に生きることができるようになるのです。大切なのは、主の真理、ということです。

○エルサレム会議の具体的な議題は「福音と律法」ということです。それは、今でも問題となるのです。しかし「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです」(11)。これが真理なのです。真の神である主を恐れず、偽りの宗教に基づく判断が律法となって私たちを縛るのです(イザヤ47:10,13)。イエス様以外のものが支配する時、私たちは何者かに縛られているのです。それは偽りの信仰です(ヨハネ8:32)。

○信仰に何かを付け加えて救われるのではなく、信仰だけで救われている、ということに満足しましょう。信じた者は事実、神の子とされている、ということから始めましょう。私たちはイエス様のものとされたのですから、そのように歩みましょう。信仰と律法が必要なのではなく、必要なのは信仰のみです。だからこそ福音です。イエス様の十字架の贖いという犠牲が先にあったからこそ、私たちは主に愛されており、主のものとされているのです(イザヤ43:1,4)。だからこそ、主に感謝し、イエス様に精一杯お従いし、イエス様の御体なる教会にお仕えし、いよいよ、「わたしの名で呼ばれる異邦人がみな主を求めるようになる」ことを祈りましょう。