「信仰の門」使徒14:19-28

「そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。」(使徒14:27)

○ルステラでパウロとバルナバは神のように崇められましたが、ユダヤ人たちに石打ちにされました(2コリント1:8−10)。これほどの苦しみを受けても、神の国の福音を伝えようとするのはなぜでしょうか。

○パウロの特徴は弱さでした(2コリント12:5−10)。その弱さの中で強い主を仰いだので恐れなかったのです。そして、パウロは「立ち上がる」のです(ミカ7:8,詩篇37:23,24)。彼は倒されても、「立ち上がって」(2コリント4:9)、今、石打にされたばかりのルステラの「町に入って行った」のです。主の力に支えられていたからです。さらにパウロは、弟子たちが「信仰にしっかりとどまるよう」勧め励ましました。私たちが死ねば「永遠の神の国」に実際に入れられますが、それまでは「永遠の神の国」に属しつつ「現在の神の国」の住人として生きていきます。ですから、地上で神の国のために苦しむことは天の栄光につながるのです。この地上では苦しみがあり、しかも、「多くの苦しみ」があるのです。だからこそ、本当の喜びに出会えるのです。

○私たちがすべきことと、神である主にゆだねるべきことがあります。断食し、祈ることは私たちがすべきことです。しかし、そのとき信じている主にゆだねなくてはならないのです。中心となって働いておられるのは、神である主ご自身です。主は、私たちのあらゆる先入観を打ち砕いて、道を開かれます。閉じられている私たちの心を開いていただきましょう(マタイ7:7,黙示3:20)。その戸すら、主が開いてくださるのです(黙示3:8,創世記28:16,17)。そのように、主に信仰の門を開いていただけるよう、祈りましょう。