「ただ恵みのみ」使徒15: 22-29

「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」(使徒15:28)

○エルサレム会議で、救いはイエス様の恵みにより信仰のみによる、ということが確認され、その決定事項が手紙として書き送られました。これは、初代教会において最初に記された公の手紙です。手紙には必ず読んでもらう相手があり、その相手との関係の中で大切なのは、愛の言葉です。

○この手紙の差出人は「兄弟である使徒および長老たち」です。そして宛先も「異邦人の兄弟たち」です。どちらも兄弟姉妹なのです(エペソ2:19)。しかも、「アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たち」ですから、それぞれが同じ兄弟だということです。これ自体がすでに愛の言葉なのです。みながキリストにあって一つなのです。さらに「聖霊と私たちは」とあります。ご聖霊が教えてくださったことを、この手紙に記しているのですから、ご聖霊の権威に教会が従っているということです。教会の会議は、ご聖霊の権威に従うために、主の御心を求めて行われるものなのです。

○この手紙の内容は「福音と律法」についてです。ただ「信仰のみ、福音のみ」なのです。福音は「神が彼らとともにいて行われたこと」(15:4)、「人の心の中を知っておられる神」のこと(15:8,9)。「主イエスの恵みによって救われた」ことです(15:11)。主ご自身とその恵みが先なのです。クリスチャンは自由にされましたから、解放の喜びから、福音に自ら奉仕するのです。

○ぶどう園のたとえ(マタイ20章)を聞く時、私たちは朝早くから働いた人になっているので、おかしいと思うのです。しかし、私たちが5時から働いた人だとしたら、ただ、主人に感謝するほかありません。イエス様の恵みのみが先に立つならば、わずか1時間しか働いていなくても、同じ恵みを受けるのです。そうだとすれば、ただ感謝して主の救いを受け取る以外にありません。ただ恵みのみの信仰に支配されて歩みましょう。