「苦難と解放」使徒12:1−17

主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。(使12:11)

○苦難を通して主がペテロを救い出されました。正しい信仰においてはいつも、苦難と解放が結びついています(詩篇34:19、マタイ5:45)。しかし、結果として「神のことばはますます盛んになり、広まって」(24)いきました。

○ペテロは幻を見ているような出来事の只中で、その時は主の御旨を知らず、後で全てがわかったのです(11)。そもそも信仰とは、事実の証言です。その後、理論が出来上がります。主はまず御使いの不思議な御業によってペテロを救い出してから、その意味をペテロに悟らせたのです。体験した事実を証明することがあかしです。それが明らかに示され、聞いた人が「心が震える体験」をしたなら、「あなたもこのイエス様の十字架と復活を信じて、罪の赦しと永遠のいのちをいただきたいと思いませんか」とお薦めできるでしょう。

○ペテロが牢に囚われた時、「教会は」ヨハネの母マリヤの家に集まり「彼のために、神に熱心に祈り続けて」いました。しかし、祈りが現実に聞かれますと、だれも信じようとはしませんでした。彼らは信じて祈っていたのではなかったのでしょうか。祈りに際しても信仰が必要です。私たちはどのように祈っているでしょうか。主が祈りを聞いてくださっているのに、私たちの祈りは、いまだに確信のない祈り、信じないで祈る祈りになってはいないでしょうか。主が望まれるなら、鉄の扉も主の導きを妨げることはできません。「まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれ」るお方です(詩篇107:16)。この主を信じて、主だけに目を止めていくならば「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行」くのです。