「常に主にとどまる」使徒11:19−30

「彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。」(使徒11:23)

○ローマ帝国の第三都市として栄えたアンテオケは交通が非常に発達し、散らされたユダヤ人を含め、様々な人々が集って暮らしていました。キリスト教にとってアンテオケが非常に重要な意味を持っているのは、アンテオケが初代教会の異邦人宣教の拠点となったからであり、アンテオケで始めてイエス様を信じる人々がキリスト者、つまりクリスチャンと呼ばれたからです

○クリスチャンというのは肯定的な意味ではなく、いつもキリストについて語っている変な群れだという否定的意味としてイエス様を信じていない人々から呼ばれました。しかし不思議なことは、弟子たちはそれを特に拒否したりせず、むしろさらに大胆にキリストについて語ることによって、どんな状況の中でもキリストの前で「心を堅く保って、常に主にとどまっている」者たちだ、という新しい意味を付け加えたのです。

○クリスチャンにとってキリストは王です。それは単なる霊的・信仰的な告白ではなく、実際の生活と働きと命全体にわたってキリストを王として認め聴き従うことです。聖霊が降ることによって、かつて恐れの中で否定したり逃げることしかできなかった弟子たちが、新しい共同体として生き、この世のあらゆる権力よりイエス様を主として忠誠を誓いました。

○キリストは全てのクリスチャンの王です。その王のご支配は暴力ではなく愛と犠牲によるのであり、キリストの王国が完成されるのは、そのご支配に従う全てのクリスチャンと教会を通してです。私たちはその御国の証人として召されました。「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」という主の祈りは主への懇願であるとともに、ご聖霊の力によって働く私たちのための祈りでもあります。

○イエス様が天のみ国のわざを成し遂げられるように力づけたご聖霊は、今や教会と全てのクリスチャンにも注がれています。イエス様は私たちと共におられ、イエス様の命は私たちの中に、そして私たちを通して働いています。