「主のまぼろし」使徒10:1−16

「すると御使いはこう言った。『あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(使徒10:4)

○初代教会では、いつも大衆がこぞって回心しているようですが、実は一人の回心が克明に描かれています(ルカ15:4)。同時に福音は国境を越えます(ローマ1:14 -16,3:29)。イエス様こそ全世界の主です(エペソ2:14,15,3:19)。○コルネリオはローマ人でしたが、ユダヤ教の教えを受け入れた「敬虔な人」と呼ばれ、全家族と共に神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていました。コルネリオは主の命令に従って、使いをペテロのところに送りました。一人の信仰者の敬虔さは周りにも伝播していきます。○ペテロに対しても主は一つの幻を通して語られました。しかし、彼はそれが主の声であると悟りながらも反論します。すると主は「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」と言われ、それが三回繰り返されました。○イエス様は「外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです」(マルコ7:15)と言われ「すべての食物をきよいとされ」ました(マルコ7:19)。信仰は、神である主のみを絶対とするものです(15:7-9)。○自分で作り出した差別や偏見、民族的優越感、といった律法から解放していただきましょう。主は、それを教えるためにすべてのことをあらかじめご用意してくださったのです。しかも、ペテロによって始められたこの異邦人伝道の道でさえ、後にパウロが中心となります。新しいことが始まるときは、主がすべてを備えてくださるのですから、私たちはただ謙遜に主に従うのみなのです。