「主をおそれ」使徒9:19−31

「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊にはげまされて前進し続けたので、信者の数が増えて行った。」(使徒9: 31)

○次々に激しくなってくる迫害が描かれた後、聖書は、にもかかわらず教会は前進し、信者の数が増え、その理由は教会が「主を恐れかしこみ、聖霊に励まされ」たからだと記されています。福音がエルサレムから全世界に広がったのはご聖霊の働きですが、同時にそれは「主を恐れる」教会の働きと切り離れることができないと聖書は証言しています。

○「主を恐れる」というのは最も重要な聖書の教えですが、それは「愛」という言葉によって色薄くなっている場合があります。もちろん主を愛することは何より大切な命令です。しかし「恐れ」が欠けている神への愛とは聖書的な愛ではありません。神への愛は、神への恐れを前提としています。主への恐れは私たちを主から切り離すものではなく、もっと敬虔と謙遜を持って主に聴き従わせます。

○元々パウロは若くて何も恐れることがない熱心な青年でしたがダマスコへの道で主に出会い、初めて主を恐れるようになりました。主を恐れることによってパウロは主の恵みを受け入れ、その恐れと恵みによってこの世の様々な恐れを退けることができました。主の福音を宣べ伝え始めたパウロはダマスコとエルサレムで命の脅かしを受けましたがしかし伝道の働きを止めることができなかったです。タルソに戻ったパウロはそこで10年以上留まり、その間絶えず家族、親戚、親友からの疑い、評価、断罪、あざけりなどを受けましたが、しかし彼は主への恐れを持って主の召しを待ち望みました。○主への恐れはただ恐れで終わることなく、主への愛、主への忠誠、主への信頼に繋がります。主への恐れは私たちを謙らせ、主の教えに聞き従わせます。長い信仰の旅で様々な課題がありますが主への恐れを持っている限り、私たちはいつも聖霊に励まされ、その信仰の歩みは前進し続けます。