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2025年1月26日説教「みことばの成就」ルカ4:14−21
「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」(ルカ4:21)
◯イエス様は公生涯2年目の開始にあたり「御霊の力を帯びてガリラヤに帰られ」、ご自分の郷里であるナザレの会堂に入られ、イザヤ書61:1〜2節の途中まで読まれました。
◯私たちにも主の霊が与えられているのは、教会に、福音を宣べ伝える使命が委ねられているからです(使徒1:8)。イエス様を知っていることこそが、貧しさや豊かさからも解放されて自由になるための正しい解決策です(詩篇19:13)。
◯貧しさは、単なる霊的な貧しさのことではありません。この社会の現実の中で、経済的に貧しく、物質的に乏しい人々がおられます(ヨハネ12:5)。イエス様が肉体をとられ、その肉体で十字架につけられて血を流され、私たちの罪を贖ってくださったのは、私たちが霊的、肉体的、社会的に解放されるためでした(ヨハネ6:54,56)。
◯イエス様が私たちと同じように血と肉を持たれ、十字架にかかられたのは、私たちを罪の奴隷から「解放するためでした」(ヘブル2:14,15)。「すでに世に勝」たれた(ヨハネ16:33)イエス様に従うことこそ、貧しさや悲しみ、束縛や盲目やしいたげからの解放であり、真の自由です。イエス様は、そのような「主の恵みの年を告げるために」来られ「今日、この聖書のことばが」「あなたがたが耳にしたとおり」「実現しました」と、ご自身が救い主、キリストご自身であることを、明確に宣言されたのです。ですから、復活のイエス様がおられる今もやはり、「恵みの時」「救いの日」(2コリント6:2)なのです。
◯私たちが、イエス様を受け入れ、イエス様が私たちのうちに生きてくださる事実こそが、私たちにとって真の罪からの解放であり、真のみことばの実現です。私たちには日々負うべき十字架があり(ルカ9:23)、しかも、その「くびきは軽い(マタイ11:30)のです。すでに十字架の上で実現したことが今日、私たちのうちに実現しています。私たちも立ち上がる時には、ご聖霊の力を受けて躊躇なく立ち上がり、イエス様が言われることを「何でも」しましょう(ヨハネ2:5)。
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