
2025年4月6日説教「主イエスへのささげ物」ヨハネ12:1−8
「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。」(ヨハネ12:7)
◯マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ(328g)イエス様の足に塗ったのでイスカリオテのユダが文句を言いました。高価な香油を一瞬で使ってしまうのは無駄な浪費です(ルカ15:13)。そうであればイエス様の十字架の死は最大の無駄だったと言えます。
◯人の正しさは、その人の内なる「愛と献身」によって決まります。マリアの心は、まさに「愛と献身」でいっぱいでした。彼女の心は、ナルドの香油のように純粋で、あたかもマリアの行為をたたえるかのように家が香油の香りでいっぱいになりました(2コリント2:15)。「愛と献身」には、「隠れたところで見ておられる」私たちの天の「父が報いてくださいます」(マタイ6:4、6、18)。彼女の「愛と献身」には、神である主ご自身によって意味が与えられています(マタイ26:13)。
◯イエス様の十字架の死こそ、私たちに対する究極の「愛と献身」の行為でした。ですから、私たちの行いが、イエス様の十字架の死に添ったものであるなら、それは主がお認めくださるのです。私たちは、イエス様のいのちを、どれくらいと見積っているでしょうか。「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです」(ガラテヤ 5:6)。
◯マリアの香油は、イエス様の十字架の死のためにのみ用意されました。この十字架の死と復活によって、まさにイエス様が救い主キリストであられるのです。そのイエス様にただ一人油を注いだマリアは、イエス様をキリスト(「油注がれた者」の意)であると、行いを通して告白したのです。私たちが究極の選択の前に立たされた時、この十字架のイエス様こそが私たちの「愛と献身」を意味あるものとされます。イエス様がその十字架で「愛と献身」を示してくださったからです。主の前に覚えられるものは、マリアが注いだ高価なナルドの香油のように芳しい「愛と献身」の行いです(1コリント13:3)。このイエス様に対する私たち自身の「愛と献身」によって、「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝え」ましょう(1コリント1:22−23)。
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