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2025年6月1日説教「すべての人を一つに」ヨハネ17:20−26

「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。」(ヨハネ17:1)

◯イエス様は「目を天に向け」、天の父に祈られました。ご自分のため(1−5)、弟子たちのため(6−19)、弟子たちによってイエス様を信じる人々のために(20−26)。つまり、2000年前にイエス様は、今救われている私たちのために、さらに世の終わりまで続く歴史を超えて信じる人々のために祈って下さいました。そのイエス様の祈りに応えて、私たちが出会う人々のために何らかの行動をするとき、その人々がイエス様の祈りの対象になります。日々の生活の中で出会うすべての人に対して、私たちに責任があります(ヤコブ3:2、3、8)。

◯イエス様はまず「一つになるため」祈られました(21-23)。それは三位一体の神の似姿として一つ、ということです(1コリント12:12)。違う一つ一つが交わりによって一体とされるということです。さらにイエス様は「完全に一つになるため」に祈られました。しかし、完全な愛や一体というのは理想に過ぎないのではないでしょうか。だからこそ、そのために祈られたのです。真の理想は祈りにならなくてはならないからです。今も、イエス様が天で執りなし祈られているのは、私たちが完全に一つとなるためです。

◯しかし、こちらから理想に、神である主の高さまで到達できるわけではありません。ただ一人、イエス様だけが向こうから私たちのところに降りてきてくださったのです。そのために、イエス様は十字架に死ななくてはなりませんでした。しかもイエス様の十字架は、ただ私たちから死を取り除いただけではなく、私たちに神の栄光を与えてくださいました(ヨハネ1:5、9)。

◯イエス様の十字架は、古い幕屋を脱いで、天からの住まいを上に着ることです(2コリント5:1−5、5:15、17、ガラテヤ3:27)。イエス様が私たちのうちにおられ、父なる神の愛が私たちのうちにあるため、イエス様は私たちに父なる神の御名を知らせ続けられます。私たちも、神である主の御名を知らせ続けましょう。彼らが信じて救われ、主ご自身の愛を受け、完全に一つとされるよう証ししましょう。

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