
2025年4月20日「よみがえられたのです」ルカ24:1−12
「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24:5,6)
◯イエス様は墓に葬られ、「本当に」死なれたことを証しされ、丸一日を墓の中で過ごされました。しかし、復活の夜明けは必ず来ます。私たちは、どのようにその朝を迎えればいいのでしょうか。
◯この主の日の朝、彼女たちのわずかな希望は、イエス様の遺体にせめて用意した香料と香油を塗ることでした。しかし、死は始まりです。それは、十字架で死なれ墓に葬られたイエス様が、その墓を空にしてよみがえられたからです(24:6)。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるため」でした (2コリント5:21)。
◯イエス様が墓を空にしてよみがえられ、死に勝利したことが復活です。そこに救いがあります。人間であれば必ず死にます。しかしその生に意味があります。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」でした(ヨハネ3:16)。私たちの生を無駄でなくするのがイエス様の復活です。
◯イエス様の復活は肉体の復活であって、からだのよみがえりです。永遠のいのちとは、肉体の復活に関わることです。私たちは死んで無に帰しますが、創造主なる神が、この無に帰したからだを再び造ることがおできになります。ですから、私たちの人生の一瞬一瞬が意味を持ってきます。イエス様の復活の信仰において私たちの人生を評価しなければなりません。
◯今も生きておられるイエス様は、「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」(ヨハネ16:33)と言われます。イエス様はすでに勝利されました。死の墓を空にして、神である主のみもとに凱旋された栄光のお方です。「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられ」ます(使10:34−43)。からだをもってよみがえられたイエス様こそ、私たちのからだの復活の希望であることを証ししていきましょう。
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