
2025年2月26日説教「自分の敵を愛しなさい」ルカ6:27-38
「しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方子どもになります。」(6:35)
◯平地の説教においてイエス様は、弟子たちに続けて語られましたが、イエス様の弟子とは言え、こんなことができるのでしょうか。
◯私たちは私たちを「憎む者たち」「呪う者たち」「侮辱する者たち」「頬を打つ者」たち、「上着を奪い取る者」たちを敵と見なしますが、イエス様がご自身の敵と見做しておられるのは悪魔だけです(1ペテロ5:8,創世記3:15)。基準が「私」ではなく「イエス様」であるとき、イエス様の「敵」は私たちの「敵」であるのです。ところが私たちは、私を基準に「敵」を作り出してしまいます(ヤコブ3:1−2)。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれ」「敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいた」のです(ローマ5:8、10)。私が「敵」と思う人のためにもイエス様は死なれました(ローマ13、14-15)。
◯信仰とは心だけのものではなく、現実的なものです(6:35、38)。信仰とは生きる現実です。ところが、私たちの持っている量りが小さいと、少ししか入りません。敵を愛する、というその量りが大きければ、そこに主はたくさん入れてくださるのです。
◯「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって呪ってはいけません」「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい」(ローマ12:14,17)とありますように、「愛し」「善を行う」だけでなく、「祝福し」「祈る」とき、人間関係の中に、主が入って来られるのです。
◯私たちは頬を向けることを通して十字架のイエス様を示します。イエス様の十字架も手段ではなく、イエス様のいのちそのものでした。「神の愛」を与えるならば必ず勝利します(1ヨハネ4:16、18)。私たちを呪うものを祝福し、私たちを侮辱する者たちのために祈るとき、呪い、侮辱、憎しみ、暴力が満ちているこの世において力を発揮します。最後に私たちは、とりなしの祈りをすることができます。相手と私との間にイエス様の十字架の愛が打ち立てられるのです。
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