「一つとなるために」ヨハネ17:20-26

「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うさ
れて一つとなるためです。」(ヨハネ17:23)
〇イエス様は、弟子たちの宣教によってみことばを信じ救われる人々のために祈
られました。それは、この2000年間にとどまらず、世の終わりまで続く、これ
からイエス様を信じて救われるすべての人のための祈りです。イエス様の祈り
に私たちが応答して行動することで伝えられた人々がこのイエス様の祈りの対
象になるのです。
〇それはまず、一つとなるためです(10:16)。しかもこの一つというのは、三位一
体の神である主の似姿として一つということなのです。「すべての者がひとつ
の御霊を飲む者とされたからです」(1コリント12:12,13)。さらに、愛がなくて
はならないのです。交わりの中にある一体は、愛による一体です。しかし、こ
の世では、完全な愛による一体を見ることはできません。だからこそ、祈るの
です。イエス様は今も私たちのために祈っておられます。私たちは今、このイ
エス様の祈りの中にあるのです。それは、祈りによって、無限のお方、全知全
能の神である主のご介入を求めているからです。
〇罪深い人間と聖なる永遠の神と、どう交わりを持つことができるのでしょう
か。私たちから主に近づくことはできず、ただ、イエス様だけが、神である主
のもとから、私たちのところに来てくださいました。しかし、イエス様が十字
架を負われたことは、わたしたちに光を与えてくださったということなので
す。十字架は罪を取り除き、死を取り除くだけでなく、闇の中にいた私たちを
神である主の栄光で照らし、光を与えてくださったのです。私たちは、古い着
物を脱ぐだけでなく、新しい着物を着たのです(2コリント5:2,エペソ4:24)。それ
は、キリストを着ることです(ガラテヤ3:27)。十字架によってやみを取り除かれ
た私たちには、光そのものが与えられました。光によって私たちは一つとされ
るのです。そのイエス様の栄光の光の中を歩ませていただきましょう。「あな
たがたは以前は暗闇でしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子ど
もらしく歩みなさい」(エペソ5:8)。