あなたはわたしを愛しますか ヨハネ21:1-19

「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」(ヨハネ21:16)

○ヨハネは20:30,31でこの書を記した目的をはっきり書いています。なぜヨハネはこの21章を書き加えたのでしょうか。それは、イエス様を三度裏切ってしまったペテロを特別に取り扱われるためでした。

○私たちは復活のイエス様に差し上げるものが何もないのです。しかしそこに復活の真理が明らかにされ、足りないところに満ち溢れる恵みが注がれるのです。みことばに素直に従った時イエス様は、地上の働きの祝福を通して、彼らの使徒としての奉仕も豊かな実りをもたらすことを保証してくださったのです。しかも、すでに用意してありながら私たちの働きの実も用意するよう言われます。ペテロたちを召された主は、宣教命令とともに大いなる実りという祝福を約束しておられます。だれもその祝福から漏れる人はいないのです。

○イエス様は三度ペテロに「あなたはわたしを愛しますか」と尋ねられます。信仰とはイエス様からの問いかけに応えることです。その内容は「愛」です。その答えが私たちの信仰だからです。しかしペテロは「はい。愛しております」とは答えられませんでした。それは謙遜と言えるでしょうか。「信じます」「愛します」、と宣言することが大切です。ペテロがはっきり語るようになるのは、ペンテコステの後でした。ついにペテロが至った信仰の単純さが力強さになりました。

○イエス様はペテロに「わたしの小羊を飼いなさい」と言われます。イエス様ご自身が「世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)でした。また「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)と言われました。つまりイエス様を愛するということは最も小さい者を養い育てることです。小羊を養い育てることこそが、イエス様に仕える奉仕なのです。

○信仰においては不自由になって初めてわかる真理があります。自分が働くのではなく、主が働いてくださるからです。イエス様に従うことこそが衰えも克服し、死すらも超えてゆく道だからです。その時には私たちに必要な力さえ与えてくださるのです。