主日礼拝2023年5月21日
「聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。」(ヨハネ17:11)
○イエス様はこれまで何度か「わたしの時はまだ来ていません」(2:4,7:6,8)と言われましたが、ついにその時が来ました。それは、まさにこれからイエス様が迎えようとしておられる十字架の時です。そして私たちを永遠の生涯に生かすのは、この地上の生涯における、ある「時」です。クリスチャンとは、世から選び出されて、イエス・キリストにある永遠のいのちを与えられた人々です。十字架のイエス様こそ、永遠のいのちを私たちに与えるお方であり、私たちはこのイエス様の大祭司としてのとりなしの祈りに支えられています。
○私たちが、神である主の栄光を現すためには、イエス様の、このとりなしがどうしても必要です。自分を見ていては私たちは神の栄光を現すことはできません。私たちはサタンの誘惑に弱く、闇の力に勝つことはできないほど弱いのです。ですから、必死にこのイエス様とそのとりなしにより頼むのです。しかもイエス様は、この「地上で」神である主の栄光を現されたのです。この「地上で」私たちが神の栄光を現すために、御子イエス様を通して、唯一のまことの神である主を知り、永遠のいのちを与えられたのです。そのイエス様のみことばを心から受け入れることが信仰です。
○イエス様は全世界の主であるはずですが、まずは弟子たちのために祈られました。世から憎まれる弟子たちがそれに耐えて福音を全世界に広める働きを担うことができるように祈られたのです(ルカ10:41,42,マタイ6:33,34)。一人の信徒が世界にいることは、この世界が本当の意味で神の国になることだからです(マルコ4:30−32)。彼らは、イエス様のとりなしの祈りに支えられて初めて世界のとりなし手となれるのです。それは、イエス様と天の父とが一つであるように、私たちも互いに愛しあうことによって、天の父とイエス様との間にあるような一致をこの世に示すためです。そのためにご聖霊が与えられます。その上でイエス様は私たちを世に遣わされます(18)。すべての人を一つにするためです(マタイ24:14)。
この記事へのコメントはありません。