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2025年8月24日説教「ぶどうの刈入れ」黙示録14:17−20

◯祭壇から出て来た第六の御使いは、神のさばきのために用いられる「火をつかさどる権威を持」っており(8:7、9:17−18、16:8−9)、彼が語ることはまさに神である主が語られるみことばでした。「鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから」(ヨエル3:13)。ぶどうは集められ酒ぶねの中に投げ入れられ、下の石がめに果汁が流れ込むように踏まれます(黙14:19)。それは最後の審判の順序を示し、これが起こる場所は「ヨシャファテの谷」「判決の谷」です(ヨエル3:2、12、14)。それは主ご自身が審判を下され、「神の激しい憤り」がどれほど大きかったということを表しています(黙19:15、イザヤ63:2−6)。

◯イスラエルはぶどうの実にたとえられ、イエス様もご自身を「わたしはまことのぶどうの木」(ヨハネ15:1)とたとえられ、救われた主の民がイエス様につながり続けるならば、「多くの実を結びます」(ヨハネ15:5、9)と約束されました。ところが、刈り集めたぶどうが、甘いぶどうでなく「酸いぶどう」であったとしたら、それは「踏みつけられるまま」「滅びるままに」されます(イザヤ5:2−7、申32:32、ヨエル3:13)。こうして、主の敵は、「全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場」で「踏まれる」のです(黙示録19:15、イザヤ33:1、63:6)。しかもイエス様ご自身が「ぶどうの踏み場を踏まれる」のです(黙19:11−13)。

◯主の民は、御国における幸いな救いが約束されています(ローマ8:28、29)。しかし主に敵対する者たちには、世の終わりにおける厳しい徹底的な裁きがあります。私たちだけが救われればそれでいいのではありません。滅びに向かっている人々をイエス様の十字架による救いに導くことこそ、私たちに与えられている使命であり、

のみこころです。生涯を通して、この福音を証ししていきましょう。

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