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2025年4月13日「主がお入り用なのです」ルカ19:28−40

「弟子たちは、『主がお入り用なのです』と言った。」(ルカ19:34)

なつめ椰子の木

◯「棕梠の主日Palm Sunday」とは、イエス様が子ろばに乗ってエルサレムに入城された時(ゼカリヤ9:9-10)、人々が「自分たちの上着」や「葉のついた枝を野から切って来て敷いた」ことに由来します(マルコ11:8、マタイ21:8、ルカ19:36)。それが「なつめ椰子(Palm Treeしゅろとも訳される)の枝」でした(ヨハネ12:13)。

◯これからエルサレムで起こる十字架の出来事は、イエス様ご自身が自ら引き受けられた、まさにイエス様のご意思で、自らが主導権をもって進められた出来事です。全てはイエス様ご自身が用意しておられたことでした(創世記22:14)。

◯「主がお入り用なのです」と言ったとき「すぐに渡してくれ」る(マタイ21:3)、隠れた弟子がいました。イエス様が全てを用意されたのですが、イエス様のご用意に応える弟子がいました。しかも彼は、「まだだれも乗ったことのない子ろば」を差し出しました。

◯弟子たちは、イエス様のなさった力あるわざについて、喜びのあまり、大声で神を賛美せざるを得ませんでした。彼らを黙らせれば黙っているはずの石が叫び始めるのです。

◯子ろばを渡してくれた弟子は、イエス様が必要とされるならば、いつでも、何でも差し出す用意ができていました。「主の山には備えがある」のですが、私たちの心にそれに応える備えがあるでしょうか。御心が示されたならば、すぐに従えるように私を整えてください、という祈りが大切です。そして、それが御心であったかどうかは、主のために喜んでそれをしているかどうかでわかります。主がそれを御心と受け止めてくださるのです。しかし、父なる神は、愛するひとり子イエス様の身代わりは用意されませんでした。かえって、私たちが主から愛されるにふさわしい罪のない者とされるために、イエス様が私たちの身代わりとなってくださったのです。

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