
2025年11月9日説教「大きな都よ」黙示録18:9-20
「天よ、この都のことで喜べ、聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」(黙示録18:20)
◯「大バビロン」が倒れる時、「地の王たち」「地の商人たち」「海で働く者たち」が嘆き悲しんでいます。彼らが「泣いて胸を打ち」き「泣き悲し」み「頭にちりをかぶり、泣き悲しん」だのはどうしてでしょうか。
◯地の王たち」が「泣いて胸を打ちたた」(18:9)いたのは1:7と同じで、ゼカリヤ書12:10の引用です。この嘆きは、イスラエルの民が、彼らが反逆し続けてきた神に悔い改めて哀れみを求めた、ということですから、18:9も、悔い改めの嘆きを意味しています。「わざわいだ、わざわいだ」(18:10.16、19)は、黙示録では神である主の宣言として用いられています(8:13、12:12)。「わざわいだ」は裁かれる者の叫びではなく、主に背く者への裁きの宣告です。「海で働く者たち」がみな「頭にちりをかぶり、泣き悲しんで」叫んだのは(ヨシュア7:6、エステル4:1、ヨブ2:12、エレミヤ2:10)、悔い改めの表現です。ここまで来てもまだ、悔い改めが残されています(2サムエル24:14)。
◯ティアティラの教会は「イゼベル」と呼ばれる女によって混乱させられていました(2:18−29)。しかし「イゼベル」と「姦淫を行う者たち」が「この女の行いを離れて悔い改め」るならば、救いの機会が与えられます(2:26)。同じように「大バビロン」と「淫らなことを行い、ぜいたくをした」「地の王たち」も悔い改めるなら救われます。
◯「大バビロン」に対する滅亡の預言の中で突然「喜べ」と語られます(18:20)。王たち、商人たち、海で働く物たちの哀歌の後、聖徒たち、使徒たち、預言者たちは賛歌を歌います。今や「大バビロン」は裁かれ、わざわいはもはやありません。天のみならず地上の聖徒たちにも喜びが広がって、すべての者が悪の支配の終わりを喜びます(エレミヤ51:48)。主は、聖徒たち、使徒たち、預言者たちのためにさばきをくだされご自身の義を示されました。そして、「キリスト・イエスご自身」を要の石とし、「使徒たちや預言者たちという土台の上に」神の国を築き上げられ、「御霊によって神の御住まいと」されたのです(エペソ2:20-22)。


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