2025年1月5日「王として生まれた方」マタイ2:1−12
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは…、礼拝するために来ました。」(マタイ2:2)
◯イエス様と出会うということは、私たちを心機一転させ、私たちの人生を変えるほどの出来事なのです。
◯東方の博士たちはペルシアやバビロニアなどの祭司であり、占星術士、天文学者であったと考えられています。彼らが何人で、どこから、いつ来たのか、彼らが見た星は何かは、わかりません。
◯博士たちは努力してエルサレムの王の宮殿まで辿り着きましたが、そこから更に進むには聖書のみことばと星のしるしが必要でした。民の祭司長たちや律法学者たちは、キリストは「ユダヤのベツレヘム」で生まれると言って預言書を引用します(ミカ5:2)。それを聞いた博士たちが出て行きますと、再び星に導かれました。信じて従う者には、みことばだけでなく地上のしるしが伴うのです。
◯ヘロデは自分こそが「ユダヤの王」であるはずなのに、自分の地位を脅かしかねない者が生まれたとなれば、自分の権力を維持するためその不穏な人物を抹殺する他ありません。この後イエス様が「ユダヤ人の王」と呼ばれるのは十字架の時です(27:11,29,37,42)。飼い葉桶と十字架、人間の最低の苦しみの中で、イエス様は王であり、勝利者なのです。インマルエルなるイエス様においては、「最も小さい者たちの一人」(25:40,18:10,11:11)が、覚えられています。◯みことばは、いくら多く知っていたとしても、信じて従わなければ私たちにとって真理となりません。招きに答えて、あらゆる努力を押しまず、喜んで駆けつける者が、救い主のもとに導かれるのです。私たちも自分が支配者であり、自分が王でありたいのです。しかしイエス様はみことばによって霊的に攻めてこられます。私たちは、イエス様を本当に私自身の「王」としているかが問われています(ヨハネ16:33、1ペテロ5:7)。私たちの自我が砕かれ、謙遜にされ、私たちの心の王座にイエス様をお迎えすべきです。私たちも貧しくなってイエス様のもとに駆けつけるべきなのです。イスラエルには拒否され、異邦人に受け入れられたこのイエス様こそ真の王です。
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