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2026年1月25日説教「みことばに立つ」ルカ4:1−13

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)

◯イエス様がガリラヤに「退かれた」のは、ヘロデから逃げるためではなく、まずは預言が成就するためでした(イザヤ9:1,2)。イエス様がガリラヤへ退かれることで、異邦人への救いの御業が成就し始めました。福音は、闇の深いところでこそ輝く光として「前進」(使徒8:3、ピリピ1:12)して行きます。私たちの人生の中で希望の見えないところにこそ、主は光を差してくださいます(ローマ8:28)。

◯こうして、天の御国の方から私たちに近づいて来きてくれました。その時、最もしなくてはならないのは、「悔い改め」です。それは、神である主に向かって私たちが生き方を方向転換し、私たちの人生の中心にイエス様に来ていただくことです(ルカ10:38−42)。私たちが悩み、苦しみ、病んでおり、人生の戦いに負けたと感じ、人間関係に疲れているときこそ、主はそこにおられます。

◯イエス様は一人一人の名を呼んで招かれます(ヨハネ10:3、4)。福音は、一人一人を大切にするところから始まります。そして、イエス様と弟子たちとの関わりの始めは「わたしについて来なさい」というイエス様の招きのことばでした。弟子たちはイエス様という「お方」に従うよう召されました(マタイ16:24)。私たちは言い訳したくなりますが、私たちの状況や能力や性質が問題なのではありません。問題なのは、「わたしについて来なさい」と言われるイエス様の呼びかけです。状況ではなく、イエス様が招かれているかどうかです。

失敗することも問題ではありません。弟子として相応しいのは、自分の問題ではなく、失敗してもイエス様に従い続けるかどうかです。

◯弟子たちはみな「すぐに」従いました。そこには損得勘定も、将来設計さえ見えません(創世記12:4、ヘブル11:8、10、11)。アブラハムは主の知識に委ねたので、正しいところに行くことができました。それが十字架の道です。私たちがどのような道を通されようと、たとえそれが苦難の道であっても、そこでイエス様が私たちを招いてくださり、私たちがイエス様に従う時、私たちもイエス様の弟子です。

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