
2025年8月17日説教「救いは主にある」詩篇3:1〜8
1.敵の攻撃から逃れて(1-2節) : 詩篇の作者ダビデは敵の攻撃を受けました。その敵が自分の息子でした。この詩は、反乱を起こした息子アブサロムから逃れたときに作った詩とされています。アブサロムは、人々のダビデ王への信頼を失墜させた計画を成功させ、王の座を狙う者となりました。ダビデの嘆きは、自分の信仰が疑われていること、敵の存在、敵が息子であること、自分の民であるイスラエルの民の背信、命の危うさへの恐れです。そして神への冒涜に対してです。 主にある者・キリスト者への侮辱は神への侮辱でもあることを覚えていたいと思います。 ダビデは、敵のあざけりに心が刺されても、神への信頼を失ってはいませんでした。どんなに絶望しても、ただおひとりの神に聞き従い、神がダビデに約束してくださった救いの望みを固く保ちました。
2.敵の攻撃から守る神(3-5節) : 絶対絶命の状況でも、ダビデは自分の周りを神が囲ってくださっていると勝利を確信していました。そして「私は恐れない」とも告白するのです。詩篇35篇3節の言葉と呼応しています。 ダビデ自身も罪を犯した罪人です。でも彼は主なる神の前に罪を悔い改め、主が変わらずに彼と共にいてくださることに信頼を置いていました。4節ではダビデは自分の神との経験を語っています。どんな逆境の時でも、敵からの嘲笑に合っていても、ダビデは神に向かって祈りと願いをささげることが決して妨げられないことを証しています
3.敵の攻撃をおそれない( 6-7節) : 主に信頼しているダビデは、「私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも」と告白します。この命を狙われているとき、自分を慕う部下を率いている状況で、頼れるのは主しかない、信仰しかないという状況です。主は決して約束をたがわない方だからです。ダビデは信仰の限りを尽くして祈ります(7節)。神の力が無限であるように、信仰者も無限に祈ることができるのです。ですから私たちも、たとえ危険に取り囲まれても、人間が神に逆らって企む一切がむなしいことを知り、どのような恐れに出会っても臆することなく神に信頼していきましょう。主が成し遂げてくださった数々の事を思い出し感謝したいです。私たちの救いはイエス・キリストが十字架で成し遂げてくださったことによります。
結語 主こそ救い(8節) : 主の助けと守りがあることをダビデは告白します。人間が絶対的な信頼を寄せられるのはただ神のみです。主なる神にのみ救いがあり、私たちもその救いに入れられています。主イエス様の助けがあることを覚え感謝し、賛美し、人々の救いと祝福を主に求めましょう。
この記事へのコメントはありません。