
2025年4月27日「私の主、私の神」ヨハネ20:19−31
「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』」(ヨハネ20:28−29)
◯十字架にかかられたイエス様は、死んでそのままではなく、三日後によみがえられました。復活して不安の中にある弟子たちの真ん中に立たれ「平安があるように」と言われました。復活とは、私たちに本当の平安を与えてくださるイエス様の到来のことです。イエス様が死の向こうから来られ「平安があるように」と言われるのです。
◯復活はつまずきです。なぜなら、死んだ人間が生き返るはずがないからです。復活は肉体の蘇生でも、単なる幻や霊だけの存在でもありません。イエス様は触ることのできる肉体で復活されたのです (ルカ24:36−43)。それが、私たちが死を超えて、永遠に生きる姿です。復活とは私たちの考えを超えた、神である主の臨在です。
◯復活のイエス様は疑う人のところにも現れました。トマスは疑いを通して本当に信仰に至ります。トマスはただ「私の主、私の神よ」と言ってひれ伏したのです。復活は見て信じることではなく、見ないで信じることです。信仰は、そこに飛び込んでいくことです。
◯イエス様は、私の罪のためにあの十字架にかかってくださったお方です。復活して死に打ち勝たれたイエス様が、ご自分の死によって獲得された義に私たちをあずからせてくださいます。信じた私たちも今、新しいいのちに復活しています。そして、私たちもやがて栄光に満ちたからだの復活を保証されたのです。
◯復活のイエス様は、私たちを派遣される主です(マルコ16:15)。しかも、その時にご聖霊が私たちに伴ってくださいます。私たちにも信じた時に同じご聖霊が与えられているのは、弟子たちと同じく出て行って、福音を宣べ伝えるために他なりません。私たちが、福音を宣べ伝えるのは、「イエス様が神の子キリストである」ことを証しし、福音を聞いた人々が「信じていのちを得るため」です。そのとき、インマヌエルの主イエス様も共におられ、私たちに先立って進んでおられるのです。この永遠の希望の主イエス様を信じ、イエス様を「私の主、私の神よ」と告白し、そのお方を証しして行きましょう。
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