2024年11月10日「主は世々限りなく支配される」黙示11:15-19
「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」(黙示録11:15)
◯「第7の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、…実現」(10:7)します。「神の奥義」とは、神である主とキリストの王権が明らかにされることです(詩93:1、96:10、97:1、99:1、ゼカリヤ14:9)。そして、父と子の支配権が世の終わりに明らかにされ(詩2:8)。「その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない」(ダニエル7:14)のです。
◯「すると、神の御前で自分たちの座に着いていた24人の長老たち(4:4)が、ひれ伏し、神を礼拝し」ました。天の御座に着いておられる主ご自身から栄光の座に座る権威と身分をいただいた24人の長老たちは、その地位と身分を全て放り出して、その座から降り、神である主に栄光を帰しているのです(エペソ1:20−23)。「私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、1人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです」(エペソ4:13)、というパウロの言葉が地上の教会の目的です。そうして、地上の礼拝と天上の礼拝が一つになって御座に着いておられるお方ただ一人を礼拝する喜びを共有できるのです。
◯天の御国における礼拝は、賛美と感謝に尽きます。そして、人は自分の行いに応じて裁かれます(20:12)。しかし、「いのちの書」に名前が記されている者は、「それぞれの行いに応じて報い」られます(22:12、ヨハネ5:24)。私たちが天の御国に入れられるのは、ただ主の恵みによります。しかし、その恵みにどのように応えたかが問われ、それに応じて報いが与えられるのです。
◯第7のラッパによって、神の奥義が示され、神殿への道が開かれ、ヨハネは「神殿の中に」「神の契約の箱」を見ます。真の聖所が天にあり、キリストは「ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました」(ヘブル9:24、12)。このイエス様の贖いの恵みをいただいた私たちも、自分の王座から降り、ひれ伏して、天の神殿の中心におられる神である主に礼拝をお捧げしていきましょう。
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