お知らせ

〇復活のイエス様は不安の真っただ中にある私たちに永安を告げてくださいます。死の恐れのただ中にある私たちに真の平安を与えてくださるイエス様の到来こそが復活でした。人間の存在を不安にする根本原因である死に解決を与えるのが復活です。 〇だからこそイエス様はまず「平安があなたがたにあるように」とおっしゃったのです。イエス様の存在こそインマヌエル、神は私たちとともにおられる、ということなのです。ですから、復活して永遠に存在されるイエス様がともにおられるならば、平安なのですが、その存在がともにおられなければ不安になります。そして、最大の不安要因である死の先から来られた方が復活のイエス様です。イエス様は死を突き抜けて私たち人間に「神は私たちとともにおられる」と告げてくださっているのです。 〇そして疑うもののところにも、復活のイエス様は現れてくださいました。生きて働いておられる永遠におられる主は、疑いにも不安にも縛られることはありません。

〇誰も働くことを許されない安息の一日、イエス様は墓におられました。私たちの生活の中でも希望を失って落ち込んでしまうことがあるかもしれません。しかし、復活の夜明けは必ず来るのです。 〇一般に、死んだら人生が終わりだと思われています。しかし、聖書では死が始まりだと告げています。十字架に死なれ墓に葬られたイエス様がその墓を空にしてよみがえられたからです。罪のない神の子が罪そのものとされ、まず十字架の刑罰を受けられ、「私たちが神の義となるため」「私たちのためにのろわれたものとなって」くださったのです。私たちの生の意味を決めるのは創造主ご自身です。そしてイエス様の復活はからだのよみがえりです。永遠のいのちとは、肉体の復活に関することです。イエス様の復活の信仰において、失敗の人生というのはありません。希望は向こうからやってきます。 〇この生きておられるお方は、全ての人間の失敗も悲惨も苦悩も一切、十字架の上に背負って勝利されたお方です。

〇イエス様はなぜロバの子に乗ってエルサレムに入られ、苦しみを避けることをしなかったのでしょうか。それは旧約聖書に預言されていたことだからです。 〇イエス様ご自身も、それを予告しておられました。そのうえでイエス様は御顔をエルサレムに向けて進んでおられました。そして、エルサレムに入るにあたってロバの子を連れてくるように弟子たちに命じられたのです。つまり、これからエルサルレムで起こることについて、主導権をもっておられるのはイエス様ご自身です。イエス様ご自身の意思で引き受けられたのが十字架でした。この時の弟子たちの仕事はいたって簡単で、イエス様に言われた通りにしただけでした。かれらは「主の山に備えがある」という事を体験したのです。 〇ただ主が用意しておられただけではなく、その主の御容易に答える弟子たちがいなければなりません。主の山にそなえがあっても、何もしなければ始まらないのです。 イエス様はこれから十字架にかかり、私たちの罪の贖いの生贄としてご自身を捧げてくださいます。この主の備えに私たちも応えていきましょう。私たちが黙っているならば、石が叫び出し、なにも差し出さなければ、ロバの子が用いられるのです。

〇旧約聖書で「かおり」という言葉は、ほとんどが「なだめのかおり」と用いられています。また、幕屋や神殿でたかれる幸は祈りの象徴です。主に喜ばれる供え物は香ばしいかおりと呼ばれています。キリストは私たちのために御自身を神への捧げもの、また供え物とし、香ばしいかおりをお捧げになりました。 イエス様の十字架の市は、主へのなだめの火による捧げ物でした。私たちも「神の前にかぐわしいキリストの香り」です。 〇マリヤはイエス様の足に香油を塗り、髪の毛でイエス様の足を拭いました。自分のすべてを捧げてもそれを誇ることなく謙ってイエス様の足元にひざまずいたのです。そしてイエス様から香油のかおりが立ち上がったように、マリヤからも同じ香油のかおりが立ち上がりました。 私たちがイエス様に私たち自身をお捧げするとき、それがキリストの香りとなって私たちから立ち上がるのです。