「主にのみ仕えよ」マタイ4:1−11

「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」(マタイ17:5)

○イエス様がバプテスマを受けられとき降られた同じ御霊が、イエス様を「悪魔の試みを受けるため」に荒野に導かれました。イエス様は孤独の戦いを耐え抜いて勝利され、御使いの奉仕を受けられました。悪魔は私たちが主に立ち返るための敵として主によって設けられたものにすぎません。信仰があるならば、イエス様が荒野で勝利されたその勝利にあずかる人生となるのです(詩篇119:67,71)。

○パンに代表される物質やお金の問題は、私たちを根底から揺るがすような誘惑になります(出16:3,民11:4-6,21:5)。悪魔は主の力を小さく見せ、主に頼らなくても自分でできる、と思わせるのです。しかし「あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れ」(申命記8:2-6)る信仰こそが、悪魔の誘惑に勝利するのです。

○次に、私たちの信仰さえ誘惑の材料にされます。悪魔の道具となった信仰は、主に対する信頼ではなく、信仰を持っているように見せかけながら、自分自身を前面に出すのです。しかし、真の信仰は隠れたところで行われます(マタイ6:2-6)。イエス様が現実に見ていてくださると知って、そこに最大の満足を置くことが、信仰です。

○第三は政治や権力、力を持ちたいという誘惑です。しかし、イエス様にとって真の政治とは、しもべとして奉仕することでした(マタイ20:26-28)。ですから「引き下がれ、サタン」と大胆に言わなければ、信仰はこの世の権力のしもべとなってしまうのです。

○クリスチャンにとって最大の誘惑は、自分で勝とうとして、悪魔の誘惑に勝利されたお方に頼らないことです。しかし、「わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)と言われたイエス様を仰ぐことだけが大切なのです。イエス様の受けられた最大の誘惑は、やがて十字架においてやってきます(マタイ27:40,42)。しかし、そこに、イエス様をとらえ、イエス様に代わって戦い勝利される助けと、イエス様を守り支えられる主のみことばが残されているのです。私たちもただ神である主だけを問題とし、「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」と言うことが、あらゆる誘惑に勝利する秘訣です。