「ただイエスおひとりだけ」マタイ17:1-9

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」(マタイ17:5)

○モーセは律法の代表、エリヤは全ての預言者の代表です。そして、律法と預言者(時に詩篇)とは、旧約聖書全体を指しています。またイエス様の12弟子は新約聖書を代表しています。その中心にイエス様がおられます。旧約の人であろうと、新約の人であろうと、どちらも、イエス様の十字架によって救われます。イエス様が苦難を避けず十字架を負われることで、救い主の栄光が表されます。

○イエス様は地上の私たちを捨てて、十字架の苦難を通らずに天上の栄光に戻ろうとはなさらなかったのです。この山の上の栄光の御姿は、一瞬、やがて現れる約束のしるしとして与えられましたが、地上にいる、罪と苦難と死に悩む人々のために、イエス様は十字架を負われる苦難の道を選ばれました。それは、そうすることによってのみ、私たちにいのちと救いの道を開くことが出来たからです。○天上の栄光は、今は雲におおわれました。私たちが生き、信じ、約束を与えられているこの地上を見つめることがまず、必要なのです。次に、天からの声に聞くことが必要です。私たちの使命は、地上を見つめつつ、天上の声に聞き従うことです。そして、イエス様の言われることに聞き従うことが、天の声に聞くことなのです。

○私たちが天からの声を聞いて、ひれ伏すとき、イエス様は近づいて来られ、「手を触れ」、「起きなさい」と励ましてくださるのです。そして、「ただイエスおひとりだけ」がそこにおられました。モーセでもエリヤでもなく、イエス様ただおひとりがすべての栄光となられるのです。このイエス様おひとりを見上げてお従いしましょう。