「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」マタイ2:1-12

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。」(マタイ2:2)

○クリスマスは夜の出来事でした。その闇の中に、神である主の救いの光が差し込んでいるのです(2コリント4:6)。博士たちが東方で見た星こそ、この救いの光を指し示していました。

○それは「異邦人を照らす啓示の光。御民イスラエルの光栄です」(ルカ2:32)。この恵みの光に触れた時、人間はどんな努力も惜しまずに救い主の元に駆けつけるのです。しかし、聖書のみことばと、星のしるしによらなければ救い主まで到達できませんでした(マルコ16:20)。信じて従う者には、みことばの約束だけでなく、地上のしるしが伴います。民の祭司長たちや学者たちは、聖書のみことばをよく知っていましたが、信じて従おうとはしませんでしたので、しるしによって救い主のところに導かれなかったのです。

○「主(Lord)」の語源は「パン(hlaf)を守る人(weard)」です。指導者とはパンを守る者のことでした(Hlaf-weard→Hlaford→Loverd→Lord)。主イエス様は私たちの肉体的、霊的必要のすべてを満たしてくださるお方です。博士たちは、救い主のことを「ユダヤ人の王」と呼びました。王は支配や守りや勝利を表します。問われているのは、私たちはイエス様を王としているか、その支配、守り、勝利を本気で信じているかどうかなのです(ヨハネ16:33)。そして、ベツレヘムの飼い葉桶とゴルゴタの十字架、人間として最低の苦しみのところで、イエス様は王であり、勝利者なのです。

○東方で見た星が博士たちを「ユダヤ人の王」に導きましたが、それは貧しい小さな家でした。そのような場所にこそ伝えられるのが福音です。イエス様の福音はこの地上の最も小さい者を照らしそれを「決して一番小さくはない」とおっしゃるのです。さらに私たちは、イエス様を知っているだけではなく、私たちの最も大切にしているものをイエス様に捧げましょう。しかも捧げさえすればそれでいいのでもなくイエス様が私たちの内に育つまで静かに待ちましょう。