「御国を受け継ぐもの」マタイ25:31−46

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

○新年になると「新しい」という言葉に色々考えさせられます。聖書の中でも「新しい」というのは非常に重要な概念ですが、聖書が語る「新しい」、はこの世が考えている外的なものではなく、内的なもの、つまり私たちのたましいを指しています。そして聖書はイエス・キリストを信じることによって私たちは新しくされると教えています。

○これは数えきれない恵みだと言いながら、私たちはなかなか変わらない自分自身に挫折し、この恵みの真実さに疑いを抱いてしまいます。新しいたましい、新しい心は新しい思いを生み出し、新しい思いは新しくされた言動へと繋がります。新しくされた心は新しい思いの源であり、新しい思いは新しくされた心の結果です。しかし新しい思いは思いで終わることなく必ず新しい言動に繋がります。

○聖書が教えている「愛」というのは好意的な感情ではありません。新約聖書の中で強調されている「愛」は旧約聖書の中では「義」と表現され、「受けるべきものを受けさせ」る、という意味をもち、もっとも有名な「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ19:18)もその人が所有しているものを大事にする、という意味です。

○この世には、受けるべきものを持っていない方が多いのです。イエス様はそれらの現実を無視なさらず、自分自身にするように助けなさいと言われました。イエス様も「受けるべき(神としての栄光)ものを持っていなかった」方であり、それらの問題を根本的に解決するために十字架で死に、よみがえられました。私たちの思いが主に向かっているなら、主の御心を軽んずることができません。自分が中心になると見えないもの、その思いを主に向けることによって私たちの歩みは豊かになり、信仰の旅の風景は素晴らしくなります。