「その名はインマヌエル」マタイ 2:18-25

「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」(マタイ1:21)

○マタイの福音書1:1〜17は「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」が書かれています。ルカの福音書3:23〜38にも、イエス様からアダムにいたる系図が記されています。イエス様こそがイスラエルの王位継承者として法的にも、血筋においても正当なお方なのです。しかしイエス様は「罪人たちの中に数えられた」のです(イザヤ53:12,ルカ22:37)。人間の汚れた歴史、血にまみれた行いの只中で、主はご自身の恵みの御業をなさいます。

イエスとは、「主は救い」という意味です。

○イエス様の誕生の物語は旧約聖書の成就です (①1:22,23,イザヤ7:14、②2:5,6,ミカ5:2、③2:15,ホセア11:1,出4:22,23、④2:17,18,エレミヤ31:15、⑤2:23,詩篇22:6,イザヤ53:3)。「すべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するため」です。

○しかし、主がことをなさる時、人間にはそれが見えません。ヨセフには、マリヤを通してご聖霊によって行われることがわからなかったので「思い巡らしていた」のです。御使いから「恐れないで」と言われるまで、私たちは心配し、恐れ、悩みます。主「恐れないで」と言われているのに、私たちの心は毎日、心配と恐れで満たされています。しかし、主の約束の出来事を信じるなら、それらは不必要な思い煩いにすぎないことがわかります。主の約束に従う時、そのただ一度の服従で、神である主の歴史に参加する事になりました。

○私たちが知る前に、主は私たちを知っていて罪から救おうとされこの奇跡を行おうとなさいます。ご聖霊が事をなさるのです。それは「神は私たちとともにおられる」インマヌエルなるお方だからです(イザヤ8:8−10)。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(28:20)、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」(18:20)。このように、主は私たちの罪深い、悩みと心配に満ちた生活にともにおられるのです。これこそがクリスマスの恵みです。