「十字架と復活の証言」使徒13:31-41

「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。」(使徒13:33)

パウロの第一次伝道旅行は、主のみこころに従い、ご聖霊の命令によったはずですのに、なぜこうも大きな抵抗に遭うのでしょうか。しかし主のみこころは、時代も地域も超えて成就していきます(ローマ8:28)。

○イエス様がよみがえられたのは、その前に死があったからです。十字架にかかって死なれたイエス様が、3日目によみがえられたのです。「十字架と復活」こそがキリスト教の中心です。これが福音の中心メッセージであって、キリスト教だけのものです。十字架は最悪の事態を表しています。しかし、罪を貫いて善が勝利し、死をとおしていのちが現れました。(1コリント2:9)。

○この世における死には必ず原因があります。しかし、いのちは神である主の御業に他なりません。「死は勝利にのまれた」のです(1コリント15:54)。それは、神である主が起こされた全く新しい出来事、新しい創造なのです。私たちに宣べ伝えられているこの救いは、罪の赦しであり「信じる者はみな、この方によって、解放される」という事実なのです。古い自分が死に、新しい自分が復活するのです。罪深い私が罪の赦しという恵みの現実の下にあるのです。

○私たちは、死も罪も絶望だと思います。しかし、神である主は、イエス様をよみがえらせ、その十字架において、私たちの罪を赦されました。イエス様を信じた私たちは罪の赦しばかりか、新しいいのち、永遠のいのちまでいただくことができるのです(ガラテヤ2:20、2コリント5:17,18)。パウロのように、私たちも日々、キリストにあって新しいいのちに生かされていきましょう(1コリント4:16)。